大自然はわたしの師匠
小さなころから、花や木やみどりを、だまって観察するのが好き。
お花も、毎日水やりしたりお世話をすると、それに応えるようにキレイに咲いてくれる。
言葉のない緑たちと会話を楽しむわけでもないけど、声に出したり、イメージでやりとりしたり…いろんな関わりの仕方をしています。
それは、植物に限らず、犬やねこと交流するときも、言葉以外のやりとりで親密になりますよね。
人間の言葉をつかわずに交流するものたちに、支えられながら生きてきたことを感じています。
わたしたちと共通の言葉があるか?ないか?というのは、あまり問題じゃないのかな~と思うことがありますよ。
思っていることがうまく伝わらなくてイライラすることもあるけど、それって言葉に頼り切っているから起こること。
植物をだまって見ていたように、相手の動きや仕草から受け取れることってとても大事ですよね。
言葉がないと意思疎通できないの?
先日、トマトのビニールハウスを見学させてもらったときに
おいしいトマトになるという大きな使命をもって
たくさんの競争をくぐり抜け、
こんなに一生懸命自分のポジションを死守して実をならそうとするんだ~!と、感動したし、元気をもらいました。
たくさん伸びている枝のなかから、自分はこれだけの実をつけられるぞという場所を選んで伸びでいる姿…
たとえ温室という決められた環境の中でも
言葉がなくても使命を持って生きているという存在に感動しました。
言葉のない存在と、観察という方法でメッセージをもらったり、勝手に想像するだけかもしれないけど
相手を思ったり、気持ちを通わせようとする訓練になっていたかな?と思ったことがありました。
言葉をしゃべらない障害のある子どもたちとかかわった時に「とても楽しそうに過ごしているね」と同僚にいわれてびっくりしたことがあります。
言葉がないから意思疎通ができないということが前提で話をされたのが、とても衝撃的でした。
わたしにとっては、なんの違和感もなく交流していたけど、わたしは周りとは感覚がちがうのかな?と感じた出来事でした。
息子から言われたひとこと
少年期の息子から言われた言葉を時々思い出します。
「おれは、しゃべりたくなかったのに…こんなときどうやって言えばいいんだよ!お前が教えたんだ!責任取れ!」
こういわれた時、気づきました。
しゃべらなくてもいいという選択肢をもって生まれてきた子も、いるのかもしれない。
わたしたちは、しゃべって当たり前、こうあって当たり前と思いすぎていることがありませんか?
それを教えてくれたのが息子。
とっても育てにくいところもあり、私を必要としない手のかからない存在でもある不思議な存在。
大自然と同じように、息子も私の師匠。
みどりと、動物と、言葉のない子どもたちから教わることは、今後も多そうです。
コメントをお書きください